「また一人か…」
31歳の夏、冷たいエアコンの風だけが、僕のワンルームに吹き抜けていた。仕事はそれなりに充実している。昇進もしたし、給料も悪くない。けれど、日が暮れて、スーパーで買ってきた総菜をレンジで温めるたびに、胸の奥がきゅうっと締め付けられる。目の前にはコンビニで買ったビールと、作り置きのきんぴらごぼう。箸を動かす音だけが響く部屋で、「美味しいね」と呟いても、返ってくるのは虚しい沈黙だけだった。
「このまま一生、誰かと食卓を囲む日は来ないのだろうか…」
心の底からそう思ったのは、もう何度目だろう。学生時代は仲間とワイワイ、社会人になってからも同期と飲み歩いていた。でも、みんな結婚して家庭を持ち、いつの間にか僕だけが取り残されたような感覚に陥っていた。週末に気合を入れて自炊しても、一人で食べる料理は、どんなに手間をかけても味気ない。冷蔵庫に並んだ食材も、結局は一人分。彩りも、香りも、どこか色褪せて見えた。「もし、隣に誰かいてくれたら、このトマトパスタも、もっと美味しく感じられるのに…」そんな独り言が、いつしか癖になっていた。
仕事のモチベーションさえ、揺らぎ始めていた。誰かのために頑張る、誰かと喜びを分かち合う。そんなシンプルな動機が、今の僕には欠けている。「一体、何のために働いているんだろう…」疲れた体で帰宅し、真っ暗な部屋の電気をつける瞬間、いつもこの疑問が頭をよぎる。心にぽっかり空いた穴を埋めるように、SNSを眺めては、友人の幸せそうな家族写真に「いいね」を押す。そのたびに、自分の現状との落差に、言いようのない焦りを感じた。「もうダメかもしれない…この寂しさから抜け出す方法なんて、本当に存在するのか?」
もちろん、何もしなかったわけじゃない。マッチングアプリに登録し、プロフィールを充実させ、多くの女性とメッセージを交わした。デートにも行った。でも、どこか空回りしていた。お互いの趣味や価値観を探り合うけれど、「料理好き」という僕の深いこだわりは、なかなか伝わらない。表面的な会話に終始し、結局、「またね」の言葉が社交辞令に終わることがほとんどだった。「俺が本当に求めている『食』への情熱を理解してくれる人なんて、この世界にいるのか…?」何度か会った子に「料理は得意じゃないけど、外食は好きだよ」と言われた時、僕の心は静かに閉じた。求めているのは、高級レストランでの食事ではない。二人でキッチンに立ち、他愛もない会話をしながら、旬の野菜を切る。そんな日常のささやかな幸せだった。
そんなある日、友人の結婚式の二次会で、偶然出会った女性がいた。彼女は、地元の食材を使った料理教室に通っていると話してくれた。その話を聞いているうちに、僕の心に一筋の光が差し込んだ。「そうか、僕が求めているのは、ただの出会いじゃない。共通の『食』への情熱なんだ」。漠然と相手を探すのではなく、具体的に「料理」という共通のテーマを持つ人と出会うこと。それが、僕の求めていた「理想の食卓」への最短ルートだと気づいたんだ。
それから僕は、行動を変えた。
まず、マッチングアプリのプロフィールを徹底的に見直した。「料理好き」を前面に押し出し、得意料理の写真や、将来的に一緒に作りたい料理の夢を具体的に書いた。ただ「料理好き」と書くのではなく、「週末は市場巡りが趣味です」「旬の食材でパスタを作るのが好き」といった具体的なエピソードを添えた。そして、料理関連のイベントや、地域の食材を学ぶワークショップにも積極的に参加するようになった。そこには、同じように食へのこだわりを持つ人々が集まっていた。
ある日、地元の小さなカフェで開催された「手作りパン教室」で、僕は彼女と出会った。彼女もまた、丁寧に生地をこね、パンの香りに目を輝かせる人だった。共通の話題は尽きず、自然と連絡先を交換した。初めてのデートは、僕の家で手料理を振る舞うことになった。少し緊張しながら作ったミートソースパスタを「美味しいね!」と笑顔で食べてくれた時、僕の心は温かい光に包まれた。まさに、僕がずっと夢見ていた瞬間だった。
今では、週末になると二人でキッチンに立つ。彼女が作った和食に舌鼓を打ち、僕が作ったイタリアンを「最高!」と言ってくれる。二人でスーパーに行き、旬の食材を選び、今夜のメニューを相談する。そんな何気ない日常が、僕にとっては何よりも尊い時間だ。仕事で疲れて帰っても、彼女が作ってくれた温かいご飯が待っていると思うと、自然と力が湧いてくる。あの味気ない一人飯の時間は、もう遠い過去の記憶だ。
もし今、あなたが僕と同じように、一人で食べるご飯の寂しさに苛まれているなら、ぜひ一歩踏み出してほしい。漠然と「彼女が欲しい」と願うだけでなく、「どんな彼女と、どんな時間を過ごしたいのか」を具体的にイメージすること。そして、その理想を叶えるための行動を起こすこと。料理という共通の情熱は、きっとあなたの心と食卓を豊かに彩ってくれるはずだ。人生は一度きり。美味しいね、を言い合える、最高のパートナーと共に、かけがえのない時間を紡いでいこう。
