恵子さん、57歳。数年前、長年連れ添った夫を病で亡くし、その数ヶ月後には下の息子も独立して家を出ていきました。それまで賑やかだった広い一軒家は、まるで時間が止まってしまったかのように、ひっそりと静まり返ってしまいました。朝、目覚めても隣に夫の寝息はなく、食卓には一人分の食器。夕方、冷蔵庫を開けても、もう誰かのために献立を考える必要はありません。「私の人生は、ここで終わってしまったのだろうか…」恵子さんの心には、ぽっかりと大きな穴が空いたようでした。
最初は、寂しさを紛らわせようと、昔の友人に連絡を取ったり、地域のサークル活動に参加したりしました。友人たちは「恵子さん、元気出して!」「何か新しい趣味でも見つけたら?」と、精一杯励ましてくれます。サークルでは、笑顔で他の参加者と会話を交わす自分を演じました。しかし、楽しそうな人々に囲まれれば囲まれるほど、心の奥底で「この人たちは、私の本当の気持ちを分かってくれない」という孤独感が募っていきました。彼らの明るさが、かえって恵子さんの心に重くのしかかります。「みんなは楽しそうにしているのに、なぜ私だけがこんなに虚しいのだろう…」と、笑顔の裏で何度も涙がこぼれました。
夜、誰もいないリビングで、夫と二人で見ていたテレビ番組を一人で眺めます。CMが流れるたびに、隣に座っていた夫が言っていた冗談が頭をよぎり、胸が締め付けられます。夫の使っていたカップ、読みかけの本、クローゼットに残された服。家中の至るところに夫の面影があり、それが恵子さんの心を深くえぐります。時折、ふと立ち止まっては、空っぽになった夫の書斎を覗き込み、「もし、あの時…」と後悔の念に駆られることもありました。
「もうダメかもしれない…この寂しさは、きっと一生消えないんだ。」
焦燥感と絶望感が、恵子さんの心を蝕んでいきました。スマートフォンを手に取っては、誰かに連絡しようとして、結局指が止まる。何を話せばいいのか、この深い寂しさをどう伝えればいいのか、分からなかったのです。恋愛や再婚なんて、今はまだ考えられません。ただ、この胸の奥にある空虚感を、誰かと分かち合いたかった。一緒にコーヒーを飲みながら、他愛もない話ができる相手。夫のこと、子どものこと、これからのこと…何でも話せる、同じような境遇の「友達」が欲しかったのです。
ある日、恵子さんはふと、地域の広報誌に載っていた小さな記事に目が留まりました。「50代からの新しいつながりを見つける会」。最初は半信半疑でした。「こんな私が行っても、浮いてしまうんじゃないか…」とためらいましたが、他に選択肢がないような気がして、意を決して参加を申し込みました。会場には、恵子さんと同じように、少し緊張した面持ちの女性たちが何人か座っていました。お茶を飲みながら、それぞれが自己紹介を始めると、驚くほど多くの人が恵子さんと同じような経験をしていることに気づかされました。夫との死別、子どもの独立、そして深い孤独。
一人の女性が、「私も、最初は誰にも言えなくて、ただひたすら家に閉じこもっていました。でも、ここで話を聞いてもらって、心が少し軽くなったんです」と涙ぐみながら話しました。その言葉を聞いたとき、恵子さんの目にも自然と涙が溢れました。「私だけじゃなかったんだ…」そう思った瞬間、張り詰めていた心の糸が、すっと緩むのを感じました。
誰かに慰めてほしいわけでも、無理に笑顔になりたいわけでもない。ただ、自分の気持ちをありのままに話せる場所、そして「わかるよ」と頷いてくれる人がいる。その温かさに触れたとき、恵子さんは「ああ、これだ」と確信しました。時間は止まったままではなかった。ゆっくりとではあるけれど、新しい一歩を踏み出すことができるかもしれない。この小さな出会いが、恵子さんの心を再び動かし始めたのです。寂しさは完全に消えるわけではないけれど、分かち合うことで、その重さは確実に軽くなる。そして、新しい「私」としての物語が、ここから始まる予感がしました。
